魑魅魍魎 ~ ちみもうりょう
去年の暮れから進めていたヴィヴァーチェの新しい企画は『もののけ』のトリオであった。英語の語りにピアノとパーカッションという編成で、音楽の部分は幾つかの主題を中谷庸子が書き、進行表は私が提案したものの、演奏自体は大部分がインプロヴィゼーションという試みである。先日4月上旬に無事『もののけ』の三話の録音が終わり、目下編集の作業中であるが、かねてからタイトルの『もののけ』の説明が容易ではないことに気づいており、その為にはやはり一稿をしたためるべきだと思った訳である。
今回の企画で使用したテキストの原本は、現在フランスでは「メートル・アケジ Maître Akeji」の名で有名な住吉明治(以下、明治師匠)とパトリック・ル・ネストゥール(ペンネーム=パレン)による共著で、当時東京にも支社があったニューヨークのジョン・ウエザーヒル社から1972年に『物怪 (もののけ), Mystery of things』というタイトルで出版されている。1964年に東京で知り合ったこの二人のアーティストは直ぐに意気投合して、明治師匠から聞いた日本の民話のうち17話をパレンがアレンジして英語で書き、そして其々の物語に因んだ書絵画を明治師匠が描いた。この画集は183冊の限定版で、縦42センチ、横32センチの大判、衣装箱に入った布装丁の豪華本となったのだが、驚くのは一冊につき17枚の書絵画は全て肉筆で、つまり明治師匠は実に三千枚以上の作品をこの本のために描いたのである。
明治師匠は1965年頃から生涯、京都の北部にある氷室の山中で、奥様と二人で自給自足の隠遁生活を送られ、顔料も筆も全すべて御自分で作っておられた。その師匠が「そろそろ『もののけ』という言葉を解き放ってやろうか」と思い、本の出版時にこのタイトルを付けたのだと御本人から直接うかがったことがあるが、その時はその意味を深く考えもしなかった。
「もののけ」は「物の怪」とも「物の気」とも書く。平安時代から鎌倉時代にかけては、祟りをおこす霊の意味として盛んに人の口にのぼり恐れられていたのが、いつの間にか死語となり数百年間、どういう訳か封じ込まれていたらしい。件の本の出版の数年後、1997年に宮崎駿監督の『もののけ姫』が世界的な成功を遂げたことは周知の如く、現在多くの人にとってこの不思議な言葉は『もののけ姫』を連想させるが、実際のところその真意は解り辛い。
個人的に、私は「もののけ」と「魑魅魍魎」は同意語だと解釈している。口語と文語の違いはあっても、どちらにも不可解で不気味な雰囲気がつきまとう。辞書で見ると「もののけ」は「人にとりついて祟りをする死霊、生き霊、妖怪の類」そして「魑魅魍魎」の「魍魎」は「《山川、木石の精霊》いろいろな化け物。さまざまな妖怪変化」とある。同様のおどろおどろしさの中で「もののけ」は「恐れ」られ、「魑魅魍魎」に対しては「畏れ」が含まれており、「恐れ」と「畏れ」のニュアンスの微妙な違いが感じ取られる。
以前、他稿にも書いたことがあるが、私は「魑魅魍魎」の全ての漢字に出揃っている「鬼」が気になって仕方がないのである。「おに」の語源を長い間探し続けたところ、「おに」は「お=大」と「に=丹」の合成語だという説に突き当たった。「丹」は「土」特に赤土のことを指し、古代この赤色には霊魂が宿るとして「はにわ」や「鳥居」に見るように祭祀にも多く用いられた。後年転じて「丹」自体が霊魂を指すようになり「おに」とは元来「大いなる霊魂」という意味であったという。「もののけ」も「物の気」の表記に近い、目には見えずとも存在する物の霊気のことと思われ、それらを畏れ尊重しながら共存していた古代が偲ばれる。
しかし平安時代中期になると、源氏物語の中では「鬼は臭し…」という表現も現れ、そして葵の上を呪い殺す六条御息所の生き霊は「物の怪」と呼ばれるようになった。この時代は、唐文化の浸透を経て日本独自の文化再興の意識が高かった一方、権力争いの陰謀の渦巻く不安定な社会に大衆化した陰陽道が広汎していった。そうした現象の中で「恐れ」と「畏れ」の区別が曖昧になり、やがて「恐れ」の感覚ばかりが蔓延っていったのではないだろうか。
もちろん全ての言語は時代と共に変化し、時には変貌もする生き物であるから、変化は免れない。ただ明治師匠が「そろそろ『もののけ』という言葉を解き放ってやろうか」と思われたのは、人々にそろそろ「魑魅魍魎」に対する「畏れ」の気持ちを蘇らせるべきだという意味だったような気がする。
そしてふと、如何にも我々人間こそ「魑魅魍魎」の塵煙のようなものではないか、という思いが心によぎったのであった。